夏は日本にとって、戦争と原爆の歴史を回顧し、その教訓を考える季節となっています。「儀礼化した8月ジャーナリズム」の問題もありますが、少なくとも毎年夏、特に8月に、必ず「あの戦争の歴史」を国中が反省し議論する戦後日本の習慣は悪いことではないと思います。
このニュースレターでも「唯一の被爆国日本」が向き合うべき核拡散の問題について、イラン侵攻論の一環として2回連続で記事を配信しました。今回、国内に目を転じ、いま上映中で、差し止め訴訟も提起されて問題化している映画『開戦前夜』を題材にして、映画評を通じた歴史の再考を試みたいと思います。*今回、途中から有料記事です。
目次
- 総力戦研究所の「日本必敗論」
- テレビドラマ化と映画化をめぐる争訟
- 歴史を平気で書き換える似非歴史映画
- 映画製作委員会の欺瞞的な開き直りを糺す
総力戦研究所の「日本必敗論」
1941年(昭和16年)12月8日の真珠湾攻撃で日米が開戦しますが、その年の3月に陸海軍と政府の合意により内閣直属組織として「総力戦研究所」が開設されました。そこにおいて、官僚・民間・軍部の各界から集められたほとんどが30代前半の優秀な36名の研究生たちが、模擬内閣の閣僚や軍部指導者の役割を分担して、日米の国力比較を踏まえたシミュレーションを行い、「日本必敗」の結論を出しました。
軍事力の基盤たる工業生産力と資源における日米の圧倒的格差を示すデータが詳細に検討され、軍部が想定しているような短期決戦による勝利は無理で、戦争は長期化せざるを得ず、日本は初戦で優勢に立てたとしてもすぐに形成が逆転し、敗北は必至であるという、現実の戦争の帰趨を千里眼的に見抜いたような予測がなされています。
特に興味深いのは、石油の8割を米国からの輸入に依存していた日本にとって致命的と言える米国の対日禁輸措置の効果に関する分析です。軍部はインドネシアなど東南アジアの石油を奪うことでこれに対抗できると想定していましたが、東南アジアでの石油生産量が十分であったとしても、問題は、それを日本に運ぶシーレーンが米軍によって壊滅させられ、結局、日本に石油が入ってこなくなる点にあることが、世界的に有名な保険会社ロイズの信用度の高い船舶損耗量予測データ(現実の船舶損耗量とほぼ一致)に基づいて示されていました。これは、日本郵船から出向した研究生前田勝二がロンドン駐在時に入手していた「ロイズ・レジスター船舶統計」を基に計算した結果で、民間からも人材を登用した総力戦研究所の強みをよく示しています。

総力戦研究所は、このような分析結果を昭和16年8月27日に政府・大本営連絡会議の場でも発表したにも拘わらず、日本は同年12月に開戦に踏み切りました。シミュレーションという言葉は当時使われず、総力戦研究所の分析は「机上演習」と呼ばれましたが、あたかも「机上の空論」であるかのように無視されました。軍部主流にとって日米開戦は既定事項だったのです。
ただ、開戦回避に向けての最後の試みもありました。本ニュースレターの昨年11月22日配信記事でも述べたように、第三次近衛内閣瓦解後、木戸幸一内大臣は天皇に東條を首相として推挙しましたが、これは、東條英機が主戦論者であると同時に天皇絶対主義者でもあったので、日米開戦回避を望む昭和天皇の意を彼に伝えて実現させるためでした。東條も天皇の意とあれば無視できず、開戦回避のための日米交渉を継続させようとしましたが、軍務官僚上がりでカリスマ性のない東條に、主戦論に走る軍部を抑える統率力はなく、また彼自身が扇動した主戦論がメディアと国民にも広がり、引くに引けない立場にあったのです。この立場に自らを追い込んだ責任は東條自身にありますが。
テレビドラマ化と映画化をめぐる争訟
総力戦研究所に関する事実は戦後もしばらくは一部にしか知られていませんでしたが、1983年に刊行された猪瀬直樹のノンフィクション作品『昭和16年夏の敗戦』(中公文庫から2010年に再刊、以下の引用は中公文庫版による)で、この研究所をめぐる史実が、様々な史料や、当時まだ存命していた多くの関係者(研究生本人たちも含む)へのインタビューに基づいて描かれ、広く知られるところとなりました。
これに基づき、昨年8月に、NHKスペシャルで、ドキュメンタリーとドラマをセットにした番組(以下Nスぺ版と略記)が放映され、この夏にドラマ部分が未公開部分を含めて拡充されて映画化された作品「開戦前夜」が公開されました。
これに対し、総力戦研究所長だった飯村穣の孫、飯村豊によりNスペ版ドラマ部分について、飯村穣の描写が事実を歪曲し、故人の名誉を毀損しているとして、損害賠償を求める訴訟が昨年12月に提起され、この夏の映画版の公開に対して差し止め訴訟も提起されました。しかし、NHKエンタープライズや東京テアトルなど4社から成る映画製作委員会(注1)は映画公開に踏み切りました。
(注1)「製作」という語は工業製品などについて使われ、映画など芸術作品・文化作品については「制作」という語を使うのが日本語としては正しい。しかし、映画産業では「制作委員会」ではなく「製作委員会」という語を使うのが慣例化している。違和感のある言葉だが、慣例化しているのでそれに従う。この慣用語法は、映画作品を工業製品のような売り物と見るビジネス感覚に映画界が支配されていることを示しているようである。
飯村豊は昨夏放映のNスペ版ドキュメンタリー部分でインタビューされた人物の一人として登場していますが、ドラマ部分の内容をインタビュー時点では知らず、それを放映一ヶ月前に番組告知で知って名誉棄損の訴訟提起に踏み切りました。メディア評論家の境治(さかい・おさむ)によると、事の背景には、Nスペ版と映画版の制作過程に関する次のような事情があったようです。

元々、映画監督の石井裕也が映画化を企画したが頓挫し、NHKに交渉したところ、戦後80周年記念のNスペ特番としてテレビドラマ版をまず放映し、その後NHKエンタープライズも製作委員会に参加して映画化することになった。テレビドラマが好評だったので映画化したというより、最初から映画化が目的だった。ドラマ部分にはフィクションが混じっているため、事実報道を旨とするNスぺの建前との矛盾を取り繕うために、ドキュメンタリー部分とセットで放映したが、ドラマ部分の総力戦研究所長が史実に反して「極めて卑劣な人物」として描かれているとの抗議を飯村豊から受けた。しかし、ドラマ部分は映画版の前出しで、それを含む映画版の上映が当初から目的だったので、遺族の抗議を撥ねつけてテレビドラマ版の放映だけでなく映画版の上映まで押し切った。
昨夏のNスペ版テレビドラマは私も見ており、飯村所長が猪瀬直樹の原作よりもシニカルに描かれているという印象を受けていましたが、詳細は忘れたので、内容を再確認するために、先日、映画「開戦前夜」を観ました。ここで遺族の訴訟との関係で私が感じたこの映画作品の問題性について触れておきたいと思います。
結論から言います。この映画は歴史を尊重するふりをしながら、興行的な成功を狙って話を面白くしようとして歴史を歪め、そのことに対する責任をフィクションという口実で回避する卑劣な作品です。総力戦研究所の活動というきわめて重要な歴史的事実を社会に広く知らしめて、破滅的戦争に向かった日本という国の宿痾をなす欠陥への反省を促すという大義名分を掲げながら、その歴史的事実の根幹部分を意図的に歪曲することにより、総力戦研究所の歴史的教訓を見失わせるとともに、事実を「代替事実」にすりかえるという戦前から現在まで日本社会の宿痾となっている悪徳を自ら露呈しています。厳しい結論ですが、以下で、その理由を述べます。