8月は日本の「戦争と原爆を回顧する夏」でもあったので、核兵器拡散と戦争映画に関する長い記事を三本配信いたしました。この夏も様々な執筆活動で忙しくしていました。首をかしげてパソコンを打つ時間が長すぎたためか、9月に入って首と上腕の筋肉が少し痛くなり、整形外科でもらった首のコルセット(カラーキーパーと呼ぶらしい)をしながら、パソコンを高い台座においてキーを叩いています(大事無し)。
本年7月11日の配信記事で「まだまだ、ガンバッテますよ」という趣旨の近況報告させていただきましたが、今回、その続報をお伝えします。
目次
- 『世界正義論』は死なず、脱皮して、さらに成長し続けるのみ
- 目下進行中・準備中の仕事――前回近況報告の補足
『世界正義論』は死なず、脱皮して、さらに成長し続けるのみ
2012年に筑摩選書の一巻として『世界正義論』を刊行しました。世界正義の哲学的存立根拠に関わるメタ世界正義論から、国家体制の国際的正統性条件、世界経済正義、戦争の正義、世界統治構造まで、世界正義(Global Justice)をめぐる主要問題を包括的かつ複眼的に論じたもので、私の代表的著作の一つと自負する作品です。学術的著作ですが、私が期待していた以上に大きな反響を呼び、増刷を重ねました。Global Justiceについては、2000年代から2010年代前半にかけて、世界的にも研究が活発で、社会的関心も高まっていました。
しかし、その後、状況が変わってきました。2015年の欧州難民危機以降、移民・難民排斥と連動してアンチ・グローバリズムの運動が、リベラルとみなされてきた欧米諸国でも台頭しました。経済のグローバル化が先進諸国内部でも経済格差を拡大し、その労働者階級の不満を高めたことも反グローバリズム昂揚の背景にあります。
さらに、2022年以降、ウクライナ戦争、ガザ戦争、ヴェネズエラ侵攻、イラン侵攻(第四次中東戦争と呼ぶべし)などが示すように、安保理常任理事国たるロシアと米国、ホロコースト被害者たるユダヤ人の祖国イスラエルという、「戦争の法と正義」の番人たるべき国家が、それを公然と蹂躙し、戦争犯罪に狂っています。このような状況で世界正義の理念に対しては、反発やシニカルな懐疑が深まり、拡大しています。
拙著『世界正義論』筑摩選書版の在庫切れに伴い、この9月10日に、ちくま学芸文庫の一巻として、本書を改訂して再刊することができました。私にとっては丁度良いタイミングで、この機会を利用して、選書版刊行後の世界情勢の変動を検討し、世界正義理念を再擁護するために70頁を超える「付説」を巻末に加えて、本書を『増補 世界正義論』として、新たな装いの下に、改めて世に問うています。

いま「ならず者超大国」と化した米国のトランプ政権が先導する形で、戦後国際社会の基本秩序を揺るがしていますが、選書版で提示した世界正義の原理に関する私の確信は揺るがず、むしろより確固としたものになっています。規範はそれを侵犯する現実によって無効化されるのではなく、かかる現実の破壊性・愚劣性によって、その妥当性がより確かに例証されるからです。いま進行している現実の破壊性・愚劣性については、このニュースレターでも様々な角度から論じてきました。
もちろん、原理論に変更はなくても、世界情勢の変動に応じて補足すべき点は多々あります。『増補 世界正義論』では、選書版の本体は誤記・誤字の訂正など形式的修正を加えた点以外はそのまま再掲し、新たな補足は巻末付説で示す形で仕分けしました。選書版を読まれた方にも、付説は新たな関心の対象にしていただけるはずです。さらに、初めて拙著を読まれる方も、最近の情勢を踏まえた巻末付説から先に読んで、再掲された本体の原理論に向き合っていただくのが、本書をより近付きやすいものにするかと思います。
朝鮮戦争の戦闘方法をめぐってトルーマン大統領と衝突し、解任されたダグラス・マッカーサー元帥は1951年の退任演説で、「老兵は死なず、ただ消え去るのみ(Old soldiers never die, they simply fade away. )」という英国陸軍兵隊歌の一節を引用しました。1880年生まれの彼はこのとき71歳、いまの私の方が1歳年長です。しかし、私はそう簡単に死ぬつもりがないだけでなく、生きている限り、消え去るつもりもありません。「不都合な真実」を暴くべく、吼え続けます。
本書『増補 世界正義論』は、世界正義を蹂躙する権力の専横を断罪しているのはもちろんですが、正義のグローバル化を恣意的に制限する欺瞞的な国際正義論を唱道したロールズとその追従者たち、ウクライナ戦争で侵略者ロシアに宥和的姿勢を示したチョムスキーやハーバーマスを含む西側知識人など、代表的な思想家たちの世界正義理念に対する裏切りも厳しく批判しています。本書は、狂った世界において理性の正気を守るために、老獅子が消え去るどころか、雄叫びをますます強めていることを示す試みです。
目下進行中・準備中の仕事――前回近況報告の補足

(1)前回の近況報告で触れるのを失念していた重要な仕事
(ⅰ)論文「学術研究を信用失墜させる知性の頽落――研究者はまず自らの身を正せ」:
2026年7月18 日に、オンラインで、第15回基礎法学系学会連合シンポジウム「学術研究の自由と独立性とは何か――歴史・理論・課題」が開催され、私も標記論文と同じタイトルで報告しました。このシンポジウムは、2020年10月の菅義偉政権による日本学術会議会員任命拒否事件に端を発し学術会議改組にまで進んだ学術への政治的干渉強化を背景として、学術研究の自由と独立性とは何かを再考するために、法哲学・法社会学・法制史学・比較法学その他の基礎法学系学会と日本学術会議法学委員会が共同して開催したものです。
私は、外部からの干渉もさることながら、それに対する学界の反発・批判が広範な社会的支持を調達できないのは、学術の信用失墜を招くような研究者・知識人の側の腐敗・頽落が主因であり、これを正す必要があることを、研究不正の跋扈、コロナ禍で露呈した専門家集団の批判性・自立性喪失、ウクライナ戦争に関する種々の対露宥和主義言説などを例に論じ、さらに日本学術会議が日本の学術共同体の正統な代表機関であることを承認されるためには、その会員選出方法の抜本的見直しが必要であることを指摘しています。
このシンポジウムの報告論文は『法律時報』2026年11月号小特集として刊行されます。私の報告を論文化した原稿は既に提出済です。この後、ゲラ校正の段階が控えています。
(ⅱ)編著『招かれざる客――移民難民問題の法と哲学』(仮題):
先に触れた欧州難民危機を契機に高まった移民・難民排斥の傾向を背景に、あるべき移民・難民政策の法哲学的基礎と制度構想に関する科研費共同研究を、私の現役時代の終盤に研究代表者として組織しました。その成果を共同論集として刊行し、世に問う試みです。
信山社から叢書<実践する法と哲学>の第二弾として刊行する予定で、本来の計画では私の定年退職後一年以内に刊行するはずでしたが、コロナ禍により研究期間が繰り越し延長され、寄稿予定者も学界の中堅として活躍して多忙な方が多く、原稿が揃うのに時間を要したため、刊行が遅れました。しかし、本年中、あるいは遅くとも来年1月初旬の刊行を目指して、いま編者として刊行準備作業--序論等の執筆以外に、多様な寄稿を一巻の書物として統合するために必要な種々の調整作業があります--のギアを上げているところです。刊行が予定より大幅に遅れたことに加え、科研費研究の成果の社会的発信でもあるので、目下、この仕事の完成に集中しています。
(2)前回の近況報告で触れた仕事のその後について
(ⅲ)「差異と平等――違いを認め合って共生するなんて、本当にできるのか」:
反差異化論と反同化論の対立と交錯を軸に差別問題の複雑性を解明する論稿。既に校了して、『名城法学』76巻1号に掲載予定。
(ⅳ)『法哲学講義』(仮題):
東京大学法学部における私の最終年度の法哲学講義を、口話体で「臨場感あふれる」形で再呈示する本にし、有斐閣から刊行する試みです(詳細事情は前回近況報告参照)。定年の年の2020年3月にする予定だった「最終講義」(質疑応答含めて2時間弱)がコロナ禍で中止になりましたが、この『法哲学講義』は、4単位の全講義(1回2時間弱の講義20数回分)を刊行するもので、本当の意味での私の「最終講義」です。全講義を聴講された担当編集者が録音データと自身のノートを基に作成してくれた草稿ができており、それを校訂して本にしますが、長大な講義なので、校訂作業にはかなりの時間とエネルギーの投入が必要です。上記(ⅱ)の編著刊行後に、本書の校訂作業に本格的に着手します。
(ⅴ)その他の宿題
前回近況報告でも触れたように、他にも、先延べしている種々の宿題がありますが、関係方面の寛恕を乞いつつ、逐次債務の履行に励みます。m(_ _)m