AIを使えば、これまで専門的な技術が必要だったことも、驚くほど簡単にできるようになってきました。では、誰もが自由に「作れる」ようになれば、私たちは作りたいものを自由に作るのでしょうか。実は、その手前に思いがけない壁があるようです。
目次
- AIが「How」を引き受けたあとに残るもの
- プログラミング教師が「何を作りたいか」を一緒に考える
- 「やりたいことがない」という大問題
AIが「How」を引き受けたあとに残るもの
プログラムを書く技術がなくても、AIでアプリを作ることができる。文章も、画像も、動画も、音楽も同じです。できることは大きく広がりました。ところが、そこで新しい問題が見えてきます。「何をやってもいい」「何を作ってもいい」と言われたとき、私たちは本当にやりたいことや作りたいものを思いつけるのでしょうか。
最近、そのことが非常にはっきり表れているのが、バイブコーディングです。これは、自然言語で指示を出すだけで、AIがアプリケーションやプログラムを自動生成する開発手法のことです。
これまでプログラミングの授業では、「こういう処理をするプログラムを書きなさい」という課題を出していました。ところがAIを使えば、自然言語で指示するだけで、かなりのところまでアプリを作れるようになってきた。そうなると、先生は、「AIを自由に使って、自分の好きなアプリを作ってください」と言えます。
これは一見、とてもよい教育のように思えます。教師から与えられた正解を再現するのではなく、自分が本当に作りたいものを作れる。ところが学生から、「何を作ればいいんでしょうか」「作りたいものがありません」という反応が出てくる。AIが簡単にプログラムを書いてくれるところまで来たのに、構想するところで止まってしまうのです。
従来の教育では、「どうやってやるか」を教えることに、かなりの時間を使ってきました。計算の仕方を教える。文章の書き方を教える。プログラムの書き方を教える。つまり「How(どうやるか)」です。
ところが、AIがHowのかなりの部分を肩代わりするようになると、その後ろに隠れていた問いが前面に出てきます。
何をするのか。なぜするのか。「What(何を)」と「Why(なぜ)」です。
これは、単にプログラミング教育だけの問題ではないと思います。文章でも、画像でも、音楽でも、AIを使えば「作る」ことの技術的なハードルは下がっていくでしょう。そうなるほど、「何を作りたいのか」「なぜそれを作りたいのか」という問いのほうが重要になってきます。

プログラミング教師が「何を作りたいか」を一緒に考える
実際、バイブコーディングを授業に取り入れ始めたある大学の先生から、興味深い話を聞きました。以前なら、プログラミングの先生はプログラミングを教えればよかった。ところが、「好きなアプリを作ってください」と言うと、学生はコードを書くところではなく、「何を作ったらいいかわからない」というところで止まってしまう。そこで先生は、学生が何に興味を持っているのか、どんなものを作ってみたいのか、構想そのものについて相談に乗ることになったそうです。
その先生曰く、「自分は何の教師なのか、よくわからなくなってきた」という趣旨のことを言われていました。
これは象徴的な現象だと思います。プログラミングを教えていた教師が、いつの間にか学生と一緒に「何を作りたいのか」を考える教師になっている。AIによって変わるのは、学生が学ぶ内容だけではありません。教師が何を教えたり指導する人なのかという役割も変わり始めているのです。
「やりたいことがない」という大問題
AIによる支援や代替によって技術的なハードルが下がるほど、「では、何を実現したいのですか」「何を作りたいのですか」という問いは重くなります。
AI時代には、「人間にしかできない」ことを見極めるだけでなく、「やりたいことが見つからない」ことが、大きな問題になるかもしれません。
前回、初音ミク等のボカロPであるピノキオピーさんを紹介しましたが、「モチベーションが死んでる」という作品があります。2015年に発表された曲ですが、私はこのタイトルが、今のAI時代の人間のあり方を考える上でも妙に気になります。

AIが登場する以前から、オープンエデュケーションの分野では似たような問題がありました。世界中の大学が教材を公開し、誰でも学べる環境を作ったとしても、それだけで人が学び始めるわけではありません。どれだけよい教材が無料で公開されていても、本人が「学びたい」と思わなければ、学びは始まらない。