8月末の配信記事で、映画『開戦前夜』に触れ、本作が、日本必敗論を提示した総力戦研究所をめぐる歴史的事実への社会的関心を利用しながら、肝心の歴史的事実を興行目的により関係者の名誉も毀損する仕方で勝手に歪曲し、批判・提訴されるとフィクションだと標榜して責任回避する卑劣な作品であるとして、厳しく批判しました。
映画好きの方々の中には、井上の酷評のせいで、「この作品をせっかく見ようと思っていたのに、見る気をなくした」、あるいは「既に見て、いい作品だと思っていたのに、その気分を害された」と、不快になっておられる人もいらっしゃるかもしれません。その埋め合わせになるかどうか分かりませんが、今回は、現実を冷厳に伝えるというドキュメンタリー映画の良心を示す最近の作品を二つ推奨させていただきます。いずれもガザ戦争の現実を描く作品です。
一言付記。映画は人間とその社会の問題を考えるための貴重なテキストです。現役時代から、私は講義でも自分の法哲学的議論を例解する素材として映画作品をよく使いました。東京大学法科大学院の学生サークル「映画研究会」の顧問も定年まで務め、映画を観て法と社会の問題を議論する「本郷映画祭」という一般公開イベントも何度か開催しました。このニュースレターでも、今後、映画を素材にして現実世界の問題を考える記事を時折配信するつもりです。そこで「映画の窓から」という枕文句を、これから使わせていただきます。*今回、途中から有料記事です。
目次
- 不可視化されるガザ戦争の現実――ドキュメンタリー映画の意義
- 『手に魂を込め、歩いてみれば』――ファトマの断ち切られた夢
- 『ヒンド・ラジャブの声』――守り切れなかった幼い命
- イスラエルの組織化された戦争犯罪
不可視化されるガザ戦争の現実――ドキュメンタリー映画の意義
推奨作品を紹介する前に、ガザ戦争の現実を伝える上で、ドキュメンタリー映画がなぜ重要なのかについて、前提となる状況説明をしておきます。
2023年10月のハマースの侵攻に対するイスラエルの「100倍返し」とも言える熾烈な報復となったガザ戦争は、2025年10月に一応の「停戦」を迎えました。しかし、実際には散発的戦闘は続いており、「停戦」後もガザ側の死者は1000人を超えたと報じられています。

1200人のイスラエル民間人を犠牲にしたハマースの侵攻はもちろん許されるべきではありません。しかし、これに対し、7万人以上のガザ住民を多数の子供も含めて殺戮し、ガザの地表を文字通り「平らにする」ほど、民間施設を破壊し尽くして、現在も民間犠牲者を出し続けているイスラエルの報復は、「100倍返し」と言っても決して誇張ではない「過剰防衛」です。自衛の名で正当化できる範囲を超えているだけでなく、明白な戦争犯罪です。
国際法の「交戦法規(jus in bello)」では、意図的な民間人・民間施設への無差別攻撃が許されないだけでなく、いわゆる「付随的被害(collateral damage)」――軍事目標攻撃に随伴する民間被害――についても、軍事的利益を超える過大な民間被害をもたらす攻撃は「比例性(proportionality)」の原則により禁じられています。数人のハマース要員が隠れているとして多数の民間人が庇護されている避難民キャンプを爆撃し、学校・病院などまでハマースが隠れて利用しているとして破壊するようなイスラエルのガザ攻撃は、交戦法規を公然と蹂躙する戦争犯罪です。国際刑事裁判所(ICC)がイスラエルのネタニヤフ首相とガラント前国防相に逮捕状を発行したのは、そのためです。
イスラエルの政府と軍は、重大な戦争犯罪を続けているだけでなく、その事実を隠蔽するために、報道関係者に対する迫害も続けています。ガザ戦争の報道活動に関連して死亡したジャーナリストは「停戦」までの2年間で250人以上に上ると伝えられています。

報道関係者の犠牲は実際にはもっと多い可能性もありますが、これだけでも衝撃的な数です。これだけのジャーナリストが殺されているということは、犠牲の大きさを示すと同時に、報道関係者に与えている「委縮効果(chilling effect)」の大きさも示しています。命がけで調査報道を行う勇敢な記者ももちろんいますが、記者たちも人間であり、「不都合な真実」を暴こうとするなら報道関係者でも容赦しないイスラエル軍の姿勢に委縮させられたとしても非難できません。これは、住民被害の実情も含めて、ガザ戦争の実態を報道することが、いかに困難になっているか、つまり、この戦争の現実が世界に対していかに不可視化されているかを示しています。
この状況において、「常にそこにある死の影」に怯えながらも必死で生きようとするガザの人々の声で、この戦争の現実を世界に伝えるために大きな役割を果たしているのが、ドキュメンタリー映画です。今回推奨する二つの作品は、いずれもガザ戦争の現実を、その犠牲になった人間の「生前の声」――死の直前までの声――で伝えるもので、ドキュメンタリー映画の使命を、痛切なまでの徹底性をもって果たしています。
推奨する二作品は、20代半ばの女性報道写真家ファトマ・ハッスーナが語る『手に魂を込め、歩いてみれば』と、イスラエル軍に襲撃された車の中から助けを求める6歳の少女との通話録である『ヒンド・ラジャブの声』です。
前者は昨年12月より全国各地で上演されました。残念ながら、現在はどこも公開終了になっていますが、将来、ネット上で動画配信される可能性はあり、その際はぜひ観ていただきたいと思います。

後者は2025年に制作されたチュニジアとフランスの合作のドキュメンタリー映画で、2024年1月に実際に発生したイスラエル軍によるガザ民間人殺害事件に焦点を当てて伝えるものです。日本でも本年9月4日より東京で上映が始まり、他の各地でも現在公開中です。

『手に魂を込め、歩いてみれば』――ファトマの断ち切られた夢
まず、『手に魂を込め、歩いてみれば(Put Your Soul on Your Hand, and Walk.)』について触れます。
イラン神権政体を批判する反体制派イラン人で、欧米で活動する女性監督のセピデ・ファルシが、自らはガザに入れないため、ガザに住むパレスチナ人の若き女性報道写真家ファトマ・ハッスーナに彼女が見ているガザの状況をスマホのビデオ通話で1年間にわたって伝えてもらい、二人の間のこの通話の音声と画像を編集して制作した作品です。表題は文芸活動もしていたファトマの長編詩からとった言葉です。
約1年にわたって間歇的に繰り返されたファトマとファルシ監督のビデオ通話の記録は、ファトマの言葉と、彼女がスマホで撮影してファルシに送る動画により、住宅街が無差別に空爆され、死と向き合う生活が日常化しているガザの現実と、ファトマの胸中にある閉塞感や消え入りそうな希望の灯を鮮烈に描いています。
ファルシ監督が「ファテム[ファトマの愛称]はガザでの私の目となり、私は、彼女にとって、世界の窓となりました」と語っていますが、この言葉は二人の関係を的確に要約しています。欧米各地に拠点をもって活躍しているファルシの姿にファトマは憧れ、もしガザに平和が訪れたら、自分も世界に羽ばたいて行きたいと思っていました。しかし、実に残酷な仕方で、彼女の夢は断ち切られます。映画のエンディングで、以下の事実が伝えられます。
この作品は、カンヌ映画祭で上映されることになりましたが、なんと、上映決定がファトマに伝えられた2025年4月15日の翌日に、彼女と家族の住む自宅がイスラエル軍によって爆撃され、彼女を含む家族7人が殺されたのです。

イスラエル軍・諜報機関は、イラン首脳部に対する馘首作戦を成功させられるほどの高度の情報収集力・盗聴能力をもっています。報道写真家としてのファトマはイスラエル当局から目をつけられていたでしょう。彼女とファルシ監督とのスマホによる通話は、当然傍受されていたはずです。また、爆撃はファトマとその家族の住居をピンポイント的に狙ったものです。GPSで制御される精密誘導兵器が使われ、ファトマ一家は意図的に殺害された可能性が高いと報じられています。

カンヌ映画祭での本作上映決定通知の翌日に爆撃されたという偶然とはとても思えないタイミングも併せて考えるなら、これはイスラエル当局によるファトマとその家族の「見せしめ的処刑」であるとともに、ガザの現実を世界に伝えようとするドキュメンタリー映画制作者・報道関係者への「恫喝的警告」だと判断せざるを得ません。
イスラエル当局は、ファトマとその家族の殺害により、自らの戦争犯罪の情報が世界に拡散するのを抑止しようとしたのでしょうが、しかし、逆に、この蛮行により、戦争犯罪への自制を喪失したイスラエルの狂気が世界の人々の目に曝されることになりました。
イスラエルという国家が、いまや戦争犯罪を「確信犯」的に実行していることは、もう一つの推奨作品『ヒンド・ラジャブの声』で、一層明確に示されています。以下、この作品に触れます。



