AIより速く、正確に、上手にできることを探して競い続ける。その先に、人間の居場所はあるのでしょうか。今回は初音ミクを用いたボカロ作品を手がかりに、効率や能力とは別のところにある「人間の面白さ」について考えます。
目次
- 「人らしく泣いたり笑ったりしてください」
- AIから見れば、人間はなぜそんなにジタバタしているのか
- AIを競争相手ではなく、パートナーにする
「人らしく泣いたり笑ったりしてください」
AIより速く計算する。AIより正確に答える。AIより上手に何かを作る。そういう競争をしている限り、人間はだんだん苦しくなるかもしれません。では、能力や効率とは別のところにある「人間の面白さ」とは何なのでしょうか。
私は以前から、テクノロジーや教育の話をするときに初音ミクを例に出すことがあり、「相変わらずですね」と言われたりするのですが、最近はピノキオピーさんというボカロP(ボーカロイドプロデューサー)の作品に傾倒していてよく聴いています。
たとえば、2026年に発表された「歌姫失格」という作品です。初音ミクが引退を宣言し、「二代目 初音ミク」のオーディションを開くという設定になっています。人間たちが後継者になろうと挑戦するのですが、感情がある、歳をとる、夢を見る――人間であるがゆえの特徴によって、次々と「失格」にされてしまいます。

そして最後に、人間は初音ミクにはなれないけれど、人間らしく泣いたり笑ったりして生きてほしい、という趣旨の初音ミクからの「御託宣」が出てきます。
ここには、AI時代の人間について考えるヒントがあるように思います。能力で競えば、人間がAIや機械にかなわない領域は、これからますます増えるでしょう。しかし、人間の価値は、本当にそこで決まるのでしょうか。
AIから見れば、人間はなぜそんなにジタバタしているのか
もう一つ、「匿名M」という作品があります。こちらは、初音ミクを思わせる「匿名M」がインタビューを受けるという形になっています。

好きな食べ物や趣味を聞かれても、「人間ではないから、ない」と答える。自分を、人間のふりをしている音楽ソフトとして謙虚に語ります。
そして、人間についてどう思うかと聞かれると、「存在していない側から見ると、存在していること自体がギャグのようにウケる」と、切り返してきます。
私には、それがどこかAIの側から、人間を達観しているように聞こえます。命ある人間は、限られた時間のなかで、喜んだり、怒ったり、落ち込んだり、あたふたしたりしている。AIのような存在からすれば、「どうしてそんなにジタバタしているのだろう」と見えるかもしれません。でも、そのジタバタしているところこそが、人間の面白さであり存在価値なのではないでしょうか。

将棋でも同じです。藤井聡太さんや伊藤匠さんの対局を見ていて面白いのは、単にAIが示す「最善手」を知りたいからではありません。人間が考え、迷い、感情を揺さぶられながら勝負する。その思考的・感情的プロセスまで含めて、私たちは対局を見ている。
もし最善手だけが知りたいのであれば、AI同士を戦わせればいい。しかし、それを観戦するのは、人間同士の対局を見る面白さとは違う気がします。
人間は常に合理的に行動するわけではありません。迷うし、間違えるし、落ち込む。思いがけないことに夢中になったり、うまくいかないことに執着して何度も挑戦したりもする。効率や成果という尺度だけで見れば、ずいぶん無駄なことをしているように見えるでしょう。
でも、その「無駄」や「不完全さ」をすべて取り除いたら、人間の面白さまで失われてしまうのではないでしょうか。
ピノキオピーさん自身は、人間とAIとの関係を意識して作品づくりをされているのではないかもしれませんし、私が勝手に自分の考えや思いを被せて深読みしているだけかもしれない。でも私には、今のAIと人間の関係を考える上で、ピノキオピーさんの作品には非常に含蓄に富むものが表現されているように感じるのです。
AIを競争相手ではなく、パートナーにする
最近、講演などでよく尋ねられるのは、「では、人間は何をやればいいのですか」「これから何を学べばいいのですか」というような質問です。