AIができることが増えるほど、人間は何をすればよいのか。この問いを考えるとき、私たちはつい「AIにはできないこと」を探してしまいます。新連載「人間は、何をやりたいのか」では、発想を逆転させ、人間の側からAI時代の学びを考えます。第1回は、「ルールを変える」という視点から出発します。


目次

  • AIに勝つのではなく、ゲームそのものを変える
  • ルールは、人間が楽しむためにある
  • 「AIに何ができるか」より、「人間は何をやりたいか」

AIに勝つのではなく、ゲームそのものを変える


「人間にしかできないこと」は、あとどれくらい残っているのでしょうか。

AIが進歩するたびに、私たちは「まだAIにできないこと」を探してきました。創造性は人間に残る。判断力は人間に残る。人とのコミュニケーションは人間に残る。ところが、「ここだけは人間の領域だ」と言われていた場所へも、AIは予想以上の速さで入ってきます。

そうだとしたら、人間はこの先ずっと、AIに追われながら「次に逃げられる場所」を探し続けるのでしょうか。私は、それでは終わりのない「撤退戦」になってしまうと思っています。

最近、その問題をまったく違う方向から考えさせられる話がありました。将棋の話です。もしAIが将棋を完全に制覇したらどうするのか。羽生善治さんが、「そのときは桂馬が横にも飛べるようにすればいい」という趣旨のことを言われたそうです。

なるほど、と思いました。AIに勝とうとするのではない。ルールそのものを変えてしまう。

AIが圧倒的に強くなったとしても、それは与えられたルールの中での話です。そうだとしたら、人間はそのルール自体を変えることができる。桂馬が横にも動けるようになれば、これまでとは違う将棋になります。これまで積み上げてきた定石も、そのままでは通用しません。AIも人間も、新しい世界でもう一度考えなくてはいけない。

スポーツでも、同じことが起こるかもしれません。ロボットの身体能力がさらに高まり、人間を上回る競技が出てくれば、「ロボットだけで競う」「人間とロボットが一緒に競う」といった新しい競技も考えられます。そのとき必要になるのも、新しいルールなのかもしれません。

ルールは、人間が楽しむためにある


ただし、ここでいう「ルールを変える」とは、「AIは禁止」といった規制だけを意味するわけではありません。そもそも、何のためにルールを作るのでしょうか。

私は、人間が楽しむため、人間がやりがいや生きがいを感じるためだと思っています。本当は、AIにやらせたほうが早く上手にできる。それでも、人間がやる。それは、必ずしも無意味ではありません。

AIのほうが強くなったからといって、人間の棋士同士が戦う意味がなくなったわけではありません。自動車のほうが速く走れるからといって、100メートル走がなくなるわけでもない。私たちは、ただ「最も強いもの」や「最も速いもの」を見たいわけではないからです。人間が考え、工夫し、努力し、失敗し、ときには思いもよらない展開や結果を生み出す。そこに面白さを感じている。

ただ、ここには難しい問題もあります。「実はAIならもっと上手にできるけれど、ここでは人間だけで楽しみましょう」と言われたとき、人は本当にやる気を保てるのでしょうか。

はるかに高いレベルの世界が別にあると知りながら、「こちらはこちらで楽しみましょう」と言われる。それだけでモチベーションを保つのは簡単ではありません。

大切なのは、単にAIを締め出すことではない。人間が、本当にそこでやりたいと思える状況や価値をどう作るか。そこまで含めて、ルールを考える必要があります。