簗和生農林水産相の「予算カット発言」が物議をかもしています。これはよくある「政治家の失言問題」の一つなどではなく、民主主義を破壊する暴挙です。ことの重大さが、簗発言を批判する人々にも十分深刻に受け止められてはいないのではと心配なので、何が問題なのかについて述べます。
*今回、途中から有料記事です。
目次
- 簗発言の経緯
- 脅かされているのは単なる予算分配の公正性ではなく、選挙の公正性である
- 秘密投票制が民主的選挙を保障するという幻想――シンガポールの場合
- 自民党はPAP以上に政治的にしぶとい
簗発言の経緯
衆議院議員としての簗和夫の選挙区は「栃木3区」ですが、ここは、彼の地盤である大田原市をはじめ、矢板市、那須塩原市、那須烏山市、那須郡那珂川町、そして那須町という複数の自治体で構成されています。簗(47歳)は現職候補として6選目を狙った今年1~2月の衆院選(1月27日公示、2月8日投票)で、無所属保守の若手新顔候補、渡辺真太朗(33歳)に敗れ、比例区で復活当選しました。那須烏山市と那珂川町の首長は、この選挙で渡辺候補の支援に回っていました。
今年5月、簗は地元の自民党支部の会合で、「那須烏山市と那珂川町の令和8年度の道路予算については、大幅にカットをしました」「那須烏山市は前年比64%減、那珂川町は54%減にしています」などと言ったとする記事が、9月末に週刊文春電子版とデイリー新潮に公開され、その後、各新聞社をはじめ、メディアで大きく追跡報道がされています。


実際に、国土交通省からの交付金は両市町とも大きく削減されていました。もっと詳しく言うと、令和8年度の道路予算配分で、簗候補を対立候補より強く支持した那須町、那須塩原市は増額され、対立候補の方を支持した那珂川町、那須烏山市、大田原市は減額されるという露骨な結果が出ています(下記の記事の6ページ目を参照)。

簗の地盤である大田原市について注記する必要があります。得票数では、簗候補が14,173、渡辺候補13,936、中道改革連合の伊賀候補が4,506で、簗が僅差で渡辺より勝っていますが、二人の対立候補の得票数を合わせると18,442で4000票以上差をつけられており、簗は他の地域での劣勢を補うだけの圧倒的支持を地元の大田原市に期待したにもかかわらず、その期待は裏切られました。その意味で、彼は大田原市でも「負けた」と言えます。

これは保守分裂選挙と言われた栃木3区の選挙で、かつて地元で簗を支持していた保守勢力の一部が渡辺支持に回ったことによります。自民党公認候補を裏切り「敗戦」に追いやった大田原市の保守層を「罰する」動機は、簗にあったかどうかは別として、自民党にあったとしても不思議ではありません。簗の予算カット発言の対象は那珂川町と那須烏山市で、自分の地元の大田原市は含まれていませんでしたが、道路予算カットが大田原市にも及んでいたことは自民党の論理からすれば分かりやすい話です。
佐々木紀総理補佐官は、国交副大臣を務めていた今年2月中旬ごろに、簗氏から那須烏山市と那珂川町の予算配分について問い合わせがあったことを認めたものの、予算配分は「議員の意向が影響する性質のものではない」とした上で、「簗氏の問い合わせによる影響はなかった」と述べ、問い合わせを受けて予算編成上の差配を国交省内に指示したこともないとして、自身の関与も否定しました。佐々木自身が関与したかどうかはともかく、「予算配分は議員の意向が影響する性質のものではない」という主張は、族議員が予算配分で暗躍する実態に照らすなら明白な嘘です。

予算配分と選挙結果の「無関係性」について色々な説明が政府によりなされていますが、栃木3区の各自治体における自民党公認候補たる簗と他の対立候補との票数比較と、これらの自治体への道路予算配分の増減との見事な対応関係を見るなら、これを「偶然の一致」と見るのは困難です。政治家や官邸の意向を忖度する官僚たちが色々な理屈をつけてこの「偶然の一致」を説明しようとすればするほど、嘘くさく響きます。
脅かされているのは単なる予算分配の公正性ではなく、選挙の公正性である
しかし、簗発言が提起している本当に深刻な問題は、「偶然の一致」論が正しいかどうかではありません。仮に「偶然の一致」だとしても、簗が「自民党公認候補を支持しない自治体は予算配分上不利に扱われても当然だ」と吹聴したこと、そして高市首相が簗発言を不適切だとしながら、彼女が「簗ちゃん」という愛称で呼んで応援したこの政治家を更迭するどころか「とにかく働いて仕事で返せ」などと励まして続投させ、実質的に強く庇ってきたという事実自体が、民主主義にとって深刻な意味をもちます。10月14日にやっと簗は農水大臣を辞任し、高市首相も「もうかばいきれない」と辞表を受理したようですが、2週間も庇ってきたことは、首相が、簗発言が孕む本質的な問題を無視・軽視していたことを示します。


では、本質的問題とは何か。「偶然の一致」論が正しく、栃木3区の各自治体への道路予算配分が選挙と無関係な別個独立の正当な理由によるものだったとしても、簗発言と高市首相の実質的な簗擁護は、選挙の公正性という民主主義の基礎を掘り崩すものだということです。予算配分を支配する与党の候補を選挙で勝たせたら予算配分で優遇され、負けさせたら不利に扱われるというメッセージを与党の政治家が有権者に発したら、これは「票を金で買う」行為であるだけでなく、「与党に投票しないと予算配分で痛い目にあうぞ」という脅迫による投票干渉になります。
簗は選挙後の5月に、地元の自民党支部の会合の内輪話で予算カット発言をしただけで、有権者一般を恫喝するメッセージを発したわけではないとして、彼を弁護することはできません。選挙期間中の街頭演説でも、彼は事前警告の形で同旨の発言をしており、その動画をFacebookで公開しています。
【街頭演説】 政権与党、高市総理に直結するパイプは「やな和生」だけ 無所属や野党では三区の予算はカットされる 三区の皆さんの暮らし・経済・命を守れるのは自民党公認・5期13年の「やな和生」だけ #やな和生 #栃木三区
Posted by やな 和生 on Sunday, February 1, 2026
こんな街頭演説動画を自ら公開するのは、彼が有権者恫喝を悪いとは思っていない「確信犯」であることを示しています。今回の「騒動」後も、この動画は削除されず、2026年10月13日時点でまだ閲覧可能ですが、これは、簗が自己の「確信犯的」な確信に開き直っているからか、または、テレビのニュース番組でもこの動画が既に紹介されているので、いまさら削除すると「証拠隠滅」行為だと更に批判されるから放置しているのかもしれません。
「票を金で買う」行為は民主主義を腐敗させる点で、それだけでも十分罪深い。11月の米国中間選挙を前にした共和党大会で、トランプ大統領が「共和党が上下両院で勝ったら、米国民成人に一人5000ドルを支給する」と発言して物議をかもしましたが、「共和党の議席が民主党より多い結果になった州の有権者には一人5000ドルを支給する」と言ったら、さらに厳しい批判を招いたでしょう。
しかし、「与党を勝たせなかった地域の住民には公共事業や補助金の配分等で痛い目に合わせる」という有権者恫喝は、これ以上に罪深い。選挙は有権者たる人民が為政者を選び、為政者に審判を下すための制度であるからこそ、民主主義の柱をなします。ところが、与党による有権者恫喝は、選挙を権力者が人民の忠誠度を測り、忠誠度の足らない人民を懲罰するための制度に変えてしまうのです。それは民主主義を腐敗させるだけでなく、それを専制に転化させるものです。以下では、シンガポールで民主制を一党独裁体制に転化させたリー・クアンユーを例に、この点を説明します。




